九
主人は痘痕面《あばたづら》である。御維新《ごいっしん》前はあばた[#「あばた」に傍点]も大分《だいぶ》流行《はや》ったものだそうだが日英同盟《にちえいどうめい》の今日《こんにち》から見ると、斯《こ》んな顔は聊《いさゝ》か時候|後《おく》れの感がある。あばた[#「あばた」に傍点]の衰退は人口の増殖と反比例して近き将来には全く其《その》迹《あと》を絶《た》つに至るだろうとは医学上の統計から精密に割り出されたる結論であって、吾輩の如き猫と雖《いえど》も毫《ごう》も疑《うたがい》を挟《さしはさ》む余地のない程の名論である。現今《げんこん》地球上にあばたっ面《つら》を有して生息《せいそく》して居《い》る人間は何人位あるか知らんが、吾輩が交際の区域内に於《おい》て打算して見ると、猫には一匹もない。人間にはたった一人《ひとり》ある。而《しか》して其《その》一人《ひとり》が主人である。甚《はなは》だ気の毒である。
吾輩は主人の顔を見る度《たび》に考える。まあ何《なん》の因果でこんな妙な顔をして臆面《おくめん》なく二十世紀の空気を呼吸して居《い》るのだろう。昔なら少しは幅も利《き》いたか知らんが、あらゆるあばた[#「あばた」に傍点]が二の腕へ立ち退《の》きを命ぜられた昨今《さっこん》、依然として鼻の頭や頬の上へ陣取って頑《がん》として動かないのは自慢にならんのみか、却《かえ》ってあばた[#「あばた」に傍点]の体面に関する訳だ。出来る事なら今のうち取り払ったらよさそうなものだ。あばた[#「あばた」に傍点]自身だって心細いに違いない。夫《それ》とも党勢不振の際《さい》、誓って落日《らくじつ》を中天《ちゅうてん》に挽回《ばんかい》せずんば已《や》まずと云う意気込みで、あんなに横風《おうふう》に顔一面を占領して居《い》るのか知らん。そうするとこのあばた[#「あばた」に傍点]は決して軽蔑の意《い》を以《もっ》て視《み》るべきものでない。滔々《とう/\》たる流俗《りゅうぞく》に抗《こう》する万古《ばんこ》不磨《ふま》の穴の集合体であって、大《おおい》に吾人《ごじん》の尊敬に値《あたい》する凸凹《でこぼこ》と云って宜《よろ》しい。只きたならしいのが欠点である。
主人の小供のときに牛込《うしごめ》の山伏町《やまぶしちょう》に淺田《あさだ》宗伯《そうはく》と云う漢法の名医があったが、此《この》老人が病家《びょうか》を見舞うときには必ずかご[#「かご」に傍点]に乗ってそろり/\と参られたそうだ。所が宗伯老が亡《な》くなられて其《その》養子の代《だい》になったら、かご[#「かご」に傍点]が忽《たちま》ち人力車に変じた。だから養子が死んで其《その》又養子が跡を続《つ》いだら葛根湯《かっこんとう》がアンチビリンに化けるかも知れない。かご[#「かご」に傍点]に乗って東京市中を練《ね》りあるくのは宗伯老の当時ですら余り見っともいゝものでは無かった。こんな真似をして澄《すま》して居たものは旧弊《きゅうへい》な亡者《もうじゃ》と、汽車へ積み込まれる豚と、宗伯老とのみであった。
主人のあばた[#「あばた」に傍点]も其《そ》の振《ふる》わざる事に於《おい》ては宗伯老のかご[#「かご」に傍点]と一般で、はたから見ると気の毒な位だが、漢法医にも劣らざる頑固《がんこ》な主人は依然として孤城|落日《らくじつ》のあばた[#「あばた」に傍点]を天下に曝露《ばくろ》しつゝ毎日登校してリードルを教えて居《い》る。
かくの如き前世紀の紀念を満面に刻して教壇に立つ彼は、其《その》生徒に対して授業以外に大《だい》なる訓戒を垂れつゝあるに相違ない。彼は「猿が手を持つ」を反覆《はんぷく》するよりも「あばた[#「あばた」に傍点]の顔面に及ぼす影響」と云う大問題を造作《ぞうさ》もなく解釈して、不言《ふげん》の間《かん》に其《その》答案を生徒に与えつゝある。もし主人の様《よう》な人間が教師として存在しなくなった暁《あかつき》には彼等生徒は此《この》問題を研究する為めに図書館|若《もし》くは博物館へ馳《か》けつけて、吾人《ごじん》がミイラに因《よ》って埃及人《エジプトじん》を髣髴《ほうふつ》すると同程度の労力を費《つい》やさねばならぬ。是《この》点から見ると主人の痘痕《あばた》も冥々《めい/\》の裡《うち》に妙な功徳《くどく》を施《ほど》こして居《い》る。
尤《もっと》も主人は此《この》功徳《くどく》を施《ほど》こす為に顔一面に疱瘡《ほうそう》を種《う》え付けたのではない。是でも実《じつ》は種《う》え疱瘡《ぼうそう》をしたのである。不幸にして腕に種《う》えたと思ったのが、いつの間《ま》にか顔へ伝染して居たのである。其頃《そのころ》は小供の事で今の様《よう》に色気もなにもなかったものだから、痒《かゆ》い/\と云いながら無暗《むやみ》に顔中引き掻いたのだそうだ。丁度噴火山が破裂してラヴァが顔の上を流れた様《よう》なもので、親が生んでくれた顔を台なしにして仕舞った。主人は折々《おり/\》細君に向って疱瘡《ほうそう》をせぬうちは玉の様《よう》な男子であったと云って居《い》る。浅草《あさくさ》の観音様で西洋人が振り反《かえ》って見た位奇麗だった抔《など》と自慢する事さえある。成程そうかも知れない。たゞ誰も保証人の居ないのが残念である。
いくら功徳《くどく》になっても訓戒になっても、きたない者は矢っ張りきたないものだから、物心《ものごゝろ》がついて以来と云うもの主人は大《おおい》にあばた[#「あばた」に傍点]に就《つい》て心配し出して、あらゆる手段を尽《つく》して此《この》醜態を揉《も》み潰《つぶ》そうとした。所が宗伯老のかご[#「かご」に傍点]と違って、いやになったからと云うてそう急に打ちやられるものではない。今だに歴然と残って居《い》る。此《この》歴然が多少気にかゝると見えて、主人は往来をあるく度《たび》毎《ごと》にあばた[#「あばた」に傍点]面《づら》を勘定してあるくそうだ。今日何人あばた[#「あばた」に傍点]に出逢って、其《その》主《ぬし》は男か女か、其《その》場所は小川町《おがわまち》の勧工場《かんこうば》であるか、上野《うえの》の公園であるか、悉《こと/″\》く彼の日記につけ込んである。彼はあばた[#「あばた」に傍点]に関する智識に於《おい》ては決して誰にも譲るまいと確信して居《い》る。先達《せんだっ》てある洋行帰りの友人が来た折《おり》なぞは「君《きみ》西洋人にはあばた[#「あばた」に傍点]があるかな」と聞いた位だ。すると其《その》友人は「そうだな」と首を曲げながら余程考えたあとで「まあ滅多にないね」と云ったら、主人は「滅多になくっても、少しはあるかい」と念を入れて聞き返した。友人は気のない顔で「あっても乞食《こじき》か立《たち》ん坊だよ。教育のある人にはない様《よう》だ」と答えたら、主人は「そうかなあ、日本とは少し違うね」と云った。
哲学者の意見によって落雲館との喧嘩を思い留《とま》った主人は其後《そのご》書斎に立て籠ってしきりに何か考えて居《い》る。彼の忠告を容《い》れて静坐の裡《うち》に霊活なる精神を消極的に修養する積《つもり》かも知れないが、元来が気の小さな人間の癖に、あゝ陰気な懐手《ふところで》許《ばか》りして居ては碌《ろく》な結果の出様《でよう》筈《はず》がない。夫《それ》より英書《えいしょ》でも質《しち》に入れて芸者から喇叭節《らっぱぶし》でも習った方が遙かにましだと迄は気が付いたが、あんな偏屈な男は到底猫の忠告|抔《など》を聴く気遣《きづかい》はないから、まあ勝手にさせたらよかろうと五六日は近寄りもせずに暮した。
今日はあれから丁度|七日目《なぬかめ》である。禅家《ぜんけ》抔《など》では一七日を限って大悟《たいご》して見せる抔《など》と凄《すさま》じい勢《いきおい》で結跏《けっか》する連中《れんじゅう》もある事だから、うちの主人もどうかなったろう、死ぬか生きるか何《なん》とか片付いたろうと、のそ/\椽側《えんがわ》から書斎の入口迄来て室内の動静を偵察に及んだ。
書斎は南向きの六畳で、日当りのいゝ所に大きな机が据《す》えてある。只大きな机ではわかるまい。長さ六尺、幅三尺八寸高さ之《これ》に叶《かな》うと云う大きな机である。無論|出来合《できあい》のものではない。近所の建具屋《たてぐや》に談判して寝台兼机として製造せしめたる稀代《きたい》の品物である。何《なん》の故《ゆえ》にこんな大きな机を新調して、又|何《なん》の故《ゆえ》に其上《そのうえ》に寝て見様《みよう》抔《など》という了見を起したものか、本人に聞いて見ない事だから頓《とん》とわからない。ほんの一|時《じ》の出来心で、かゝる難物《なんぶつ》を担《かつ》ぎ込んだのかも知れず、或《あるい》はことによると一種の精神病者に於《おい》て吾人《ごじん》が屡《しば/\》見出《みいだ》す如く、縁《えん》もゆかりもない二個の観念を連想して、机と寝台を勝手に結び付けたものかも知れない。兎に角奇抜な考えである。只奇抜|丈《だけ》で役に立たないのが欠点である。吾輩は甞《かつ》て主人が此《この》机の上へ昼寐《ひるね》をして寝返りをする拍子《ひょうし》に椽側《えんがわ》へ転《ころ》げ落ちたのを見た事がある。其《それ》以来|此《この》机は決して寝台に転用されない様《よう》である。
机の前には薄っぺらなメリンスの座布団《ざぶとん》があって、烟草《たばこ》の火で焼けた穴が三つ程かたまってる。中から見える綿は薄黒い。此《この》座布団《ざぶとん》の上に後《うし》ろ向きにかしこまって居《い》るのが主人である。鼠色によごれた兵児帯《へこおび》をこま結びにむすんだ左右がだらりと足の裏へ垂れかゝって居《い》る。此《この》帯へじゃれ付いて、いきなり頭を張られたのは此間《こないだ》の事である。滅多に寄り付くべき帯ではない。
まだ考えて居《い》るのか下手《へた》の考《かんがえ》と云う喩《たとえ》もあるのにと後《うし》ろから覗《のぞ》き込んで見ると、机の上でいやにぴか/\光ったものがある。吾輩は思わず、続け様《ざま》に二三度|瞬《まばたき》をしたが、こいつは変だとまぶしいのを我慢して眤《じっ》と光るものを見詰めてやった。すると此《この》光りは机の上で動いて居《い》る鏡から出るものだと云う事が分った。然《しか》し主人は何《なん》の為めに書斎で鏡|抔《など》を振り廻して居《い》るのであろう。鏡と云えば風呂場にあるに極《き》まっている。現に吾輩は今朝《けさ》風呂場で此《この》鏡を見たのだ。此鏡[#「此鏡」に傍点]ととくに云うのは主人のうちには是より外《ほか》に鏡はないからである。主人が毎朝顔を洗ったあとで髪を分けるときにも此《この》鏡を用いる。――主人の様《よう》な男が髪を分けるのかと聞く人があるかも知れぬが、実際彼は他《ほか》の事に無精《ぶしょう》なる丈《だけ》其丈《それだけ》頭を叮嚀《ていねい》にする。吾輩が当家に参ってから今に至る迄主人は如何《いか》なる炎熱《えんねつ》の日と雖《いえども》五分刈に刈り込んだ事はない。必ず二寸位の長さにして、それを御大《ごたい》そうに左の方《ほう》で分けるのみか、右の端《はじ》を一寸《ちょっと》跳《は》ね返して澄《すま》して居《い》る。是も精神病の徴候かも知れない。こんな気取った分け方は此《この》机と一向調和しないと思うが、敢《あえ》て他人に害を及ぼす程の事でないから、誰も何《なん》とも云わない。本人も得意である。分け方のハイカラなのは偖《さて》措《お》いて、なぜあんなに髪を長くするのかと思ったら実《じつ》はこう云う訳である。彼のあばた[#「あばた」に傍点]は単に彼の顔を浸蝕せるのみならず、とくの昔しに脳天迄食い込んで居《い》るのだそうだ。だから若《も》し普通の人の様《よう》に五分刈や三分刈にすると、短かい毛の根本《ねもと》から何十となくあばた[#「あばた」に傍点]があらわれてくる。いくら撫でゝも、さすってもぽつ/\がとれない。枯野に螢を放《はな》った様《よう》なもので風流かも知れないが、細君の御意《ぎょい》に入《い》らんのは勿論《もちろん》の事である。髪さえ長くして置けば露見しないで済む所を、好んで自己の非を曝《あば》くにも当らぬ訳だ。なろう事なら顔迄毛を生やして、こっちのあばた[#「あばた」に傍点]も内済《ないさい》にしたい位な所だから、只で生える毛を銭《ぜに》を出して刈り込ませて、私《わたくし》は頭蓋骨の上迄天然痘にやられましたよと吹聴《ふいちょう》する必要はあるまい。――是が主人の髪を長くする理由で、髪を長くするのが、彼の髪をわける原因で、其《そ》の原因が鏡を見る訳で、其《その》鏡が風呂場にある所以《ゆえん》で、而《しこう》して其《その》鏡が一つしかないと云う事実である。
風呂場にあるべき鏡が、しかも一つしかない鏡が書斎に来て居《い》る以上は鏡が離魂病《りこんびょう》に罹《かゝ》ったのか又は主人が風呂場から持って来たに相違ない。持って来たとすれば何《なん》の為めに持って来たのだろう。或《あるい》は例の消極的修養に必要な道具かも知れない。昔し或る学者が何《なん》とかいう智識を訪うたら、和尚《おしょう》両肌《もろはだ》を抜いで甎《かめ》を磨《ま》して居《お》られた。何をこしらえなさると質問したら、なにさ今鏡を造ろうと思うて一生懸命にやって居《お》る所じゃと答えた。そこで学者は驚ろいて、なんぼ名僧でも甎《かめ》を磨《ま》して鏡とする事は出来まいと云うたら、和尚《おしょう》から/\と笑いながら左様《そう》か、夫《そ》れじゃやめよ、いくら書物を読んでも道はわからぬのもそんなものじゃろと罵《のゝし》ったと云うから、主人もそんな事を聞き噛《かじ》って風呂場から鏡でも持って来て、したり顔に振り廻しているのかも知れない。大分《だいぶ》物騒《ぶっそう》になって来たなと、そっと窺《うかゞ》って居《い》る。
かくとも知らぬ主人は甚《はなは》だ熱心なる容子《ようす》を以《もっ》て一|張来《ちょうらい》の鏡を見詰めて居《い》る。元来鏡というものは気味の悪いものである。深夜|蝋燭《ろうそく》を立てゝ、広い部屋のなかで一人鏡を覗《のぞ》き込むには余程の勇気が入《い》るそうだ。吾輩|抔《など》は始めて当家の令嬢から鏡を顔の前へ押し付けられた時に、はっと仰天《ぎょうてん》して屋敷のまわりを三度|馳《か》け回った位である。如何《いか》に白昼《はくちゅう》と雖《いえ》ども、主人の様《よう》にかく一生懸命に見詰めている以上は自分で自分の顔が怖くなるに相違ない。只見てさえあまり気味のいゝ顔じゃない。稍《やゝ》あって主人は「成程きたない顔だ」と独《ひと》り言《ごと》を云った。自己の醜《しゅう》を自白するのは中々見上げたものだ。様子から云うと慥《たしか》に気違《きちがい》の所作《しょさ》だが言うことは真理である。是がもう一歩進むと、己《おの》れの醜悪な事が怖くなる。人間は吾身《わがみ》が怖ろしい悪党であると云う事実を徹骨徹髓《てっこつてつずい》に感じた者でないと苦労人とは云えない。苦労人でないと到底|解脱《げだつ》は出来ない。主人もこゝ迄来たら序《つい》でに「おゝ怖い」とでも云いそうなものであるが中々云わない。「成程きたない顔だ」と云ったあとで、何を考え出したか、ぷうっと頬《ほ》っぺたを膨《ふく》らました。そうしてふくれた頬《ほ》っぺたを平手で二三度叩いて見る。何《なん》のまじないだか分らない。此《この》時吾輩は何《なん》だか此《この》顔に似たものがあるらしいと云う感じがした。よく/\考えて見ると夫《そ》れは御三の顔である。序《つい》でだから御三の顔を一寸《ちょっと》紹介するが、それは/\ふくれたものである。此間《このあいだ》さる人が穴守《あなもり》稲荷《いなり》から河豚《ふぐ》の提灯《ちょうちん》をみやげに持って来てくれたが、丁度あの河豚《ふぐ》提灯《ちょうちん》の様《よう》にふくれて居《い》る。あまりふくれ方《かた》が残酷なので眼は両方共紛失して居《い》る。尤《もっと》も河豚《ふぐ》のふくれるのは万遍なく真丸《まんまる》にふくれるのだが、お三とくると、元来の骨格が多角性であって、其《その》骨格通りにふくれ上がるのだから、丸で水気《すいき》になやんで居《い》る六角時計の様《よう》なものだ。御三が聞いたら嘸《さぞ》怒《おこ》るだろうから、御三は此《この》位にして又主人の方に帰るが、かくの如くあらん限りの空気を以《もっ》て頬《ほ》っぺたをふくらませたる彼は前《ぜん》申す通り手のひらで頬《ほっ》ぺたを叩きながら「此《この》位皮膚が緊張するとあばた[#「あばた」に傍点]も眼につかん」と又|独《ひと》り語《ごと》をいった。
こんどは顔を横に向けて半面に光線を受けた所を鏡にうつして見る。「こうして見ると大変目立つ。矢っ張りまともに日の向いてる方《ほう》が平《たいら》に見える。奇体な物だなあ」と大分《だいぶ》感心した様子であった。それから右の手をうんと伸《のば》して、出来る丈《だけ》鏡を遠距離に持って行って静かに熟視している。「此《この》位離れるとそんなでもない。矢張り近過ぎるといかん。――顔|許《ばか》りじゃない何《なん》でもそんなものだ」と悟った様《よう》なことを云う。次に鏡を急に横にした。そうして鼻の根を中心にして眼や額《ひたい》や眉《まゆ》を一度に此《この》中心に向ってくしゃ/\とあつめた。見るからに不愉快な容貌が出来上ったと思ったら「いや是は駄目だ」と当人も気がついたと見えて早々《そう/\》やめて仕舞った。「なぜこんなに毒々しい顔だろう」と少々不審の体《てい》で鏡を眼を去る三寸|許《ばか》りの所へ引き寄せる。右の人指《ひとさ》しゆびで小鼻を撫でゝ、撫でた指の頭を机の上にあった吸取り紙の上へ、うんと押しつける。吸い取られた鼻の膏《あぶら》が丸るく紙の上へ浮き出した。色々な芸をやるものだ。それから主人は鼻の膏《あぶら》を塗抹《とまつ》した指頭《しとう》を転じてぐいと右眼《うがん》の下瞼《したまぶた》を裏返して、俗に云うべっかんこう[#「べっかんこう」に傍点]を見事にやって退《の》けた。あばた[#「あばた」に傍点]を研究して居《い》るのか、鏡と睨《にら》め競《くら》をして居《い》るのか其辺《そのへん》は少々不明である。気の多い主人の事だから見て居《い》るうちに色々になると見える。それどころではない。若《も》し善意を以《もっ》て蒟蒻《こんにゃく》問答的に解釈してやれば主人は見性《けんしょう》自覚の方便《ほうべん》として斯様《かよう》に鏡を相手に色々な仕草を演じて居《い》るのかも知れない。凡《すべ》て人間の研究と云うものは自己を研究するのである。天地と云い山川《さんせん》と云い日月《じつげつ》と云い星辰《せいしん》と云うも皆《みな》自己の異名《いみょう》に過ぎぬ。自己を措《お》いて他《た》に研究すべき事項は誰人《たれびと》にも見出《みいだ》し得ぬ訳だ。若《も》し人間が自己以外に飛び出す事が出来たら、飛び出す途端に自己はなくなって仕舞う。而《しか》も自己の研究は自己以外に誰もしてくれる者はない。いくら仕《し》てやりたくても、貰いたくても、出来ない相談である。夫《それ》だから古来の豪傑はみんな自力《じりき》で豪傑になった。人の御蔭《おかげ》で自己が分る位なら、自分の代理に牛肉を喰わして、堅いか柔《やわら》かいか判断の出来る訳だ。朝《あした》に法を聴き、夕《ゆうべ》に道を聴き、梧前《ごぜん》燈火に書巻を手にするのは皆|此《この》自証《じしょう》を挑撥するの方便《ほうべん》の具《ぐ》に過ぎぬ。人の説く法のうち、他《た》の弁ずる道のうち、乃至《ないし》は五|車《しゃ》にあまる蠧紙《とし》堆裏《たいり》に自己が存在する所以《ゆえん》がない。あれば自己の幽霊である。尤《もっと》もある場合に於《おい》て幽霊は無霊より優《まさ》るかも知れない。影を追えば本体に逢着《ほうちゃく》する時がないとも限らぬ。多くの影は大抵本体を離れぬものだ。此《この》意味で主人が鏡をひねくって居《い》るなら大分《だいぶ》話せる男だ。エピクテタス抔《など》を鵜呑《うのみ》にして学者ぶるよりも遙かにましだと思う。
鏡は己惚《うぬぼれ》の醸造器である如く、同時に自慢の消毒器である。もし浮華《ふか》虚栄の念を以《もっ》て之《これ》に対する時は是程愚物を煽動《せんどう》する道具はない。昔から増上慢《ぞうじょうまん》を以《もっ》て己《おのれ》を害し他《た》を※[#「爿+戈」、第4水準2-12-83]《そこの》うた事蹟の三分の二は慥《たし》かに鏡の所作《しょさ》である。仏国革命の当時物好きな御医者さんが改良首きり器械を発明して飛んだ罪をつくった様《よう》に、始めて鏡をこしらえた人も定めし寐覚《ねざめ》のわるい事だろう。然《しか》し自分に愛想《あいそ》の尽きかけた時、自我の萎縮した折《おり》は鏡を見る程薬になる事はない。妍醜《けんしゅう》瞭然《りょうぜん》だ。こんな顔でよくまあ人で候と反《そ》りかえって今日《こんにち》迄暮らされたものだと気がつくにきまって居《い》る。そこへ気がついた時が人間の生涯中|尤《もっと》も難有《ありがた》い期節《きせつ》である。自分で自分の馬鹿を承知して居《い》る程|尊《たっ》とく見える事はない。此《この》自覚性馬鹿の前にはあらゆるえらがり[#「えらがり」に傍点]屋が悉《こと/″\》く頭を下げて恐れ入らねばならぬ。当人は昂然《こうぜん》として吾《われ》を軽侮《けいぶ》嘲笑して居《い》る積《つも》りでも、こちらから見ると其《その》昂然《こうぜん》たる所が恐れ入って頭を下げて居《い》る事になる。主人は鏡を見て己《おの》れの愚《ぐ》を悟る程の賢者《けんしゃ》ではあるまい。然《しか》し吾《わ》が顔に印《いん》せられる痘痕《とうこん》の銘《めい》位は公平に読み得《う》る男である。顔の醜《みにく》いのを自認するのは心の賤《いや》しきを会得《えとく》する楷梯《かいてい》にもなろう。頼母《たのも》しい男だ。是も哲学者から遣《や》り込められた結果かも知れぬ。
斯様《かよう》に考えながら猶《なお》様子をうかゞっていると、夫《それ》とも知らぬ主人は思う存分あかんべえ[#「あかんべえ」に傍点]をしたあとで「大分《だいぶ》充血して居《い》る様《よう》だ。矢っ張り慢性結膜炎だ」と言いながら、人さし指の横つらでぐい/\充血した瞼《まぶた》をこすり始めた。大方《おおかた》痒《かゆ》いのだろうけれども、只さえあんなに赤くなって居《い》るものを、こう擦《こす》ってはたまるまい。遠からぬうちに塩鯛《しおだい》の眼玉の如く腐爛《ふらん》するにきまってる。やがて眼を開《ひら》いて鏡に向った所を見ると、果せるかなどんよりとして北国《ほっこく》の冬空の様《よう》に曇って居た。尤《もっと》も平常《ふだん》からあまり晴れ/″\しい眼ではない。誇大な形容詞を用いると混沌《こんとん》として黒眼《くろめ》と白眼《しろめ》が剖半《ぼうはん》しない位|漠然《ばくぜん》として居《い》る。彼の精神が朦朧《もうろう》として不得《ふとく》要領|底《てい》に一貫して居《い》る如く、彼の眼も曖々然《あい/\ぜん》昧々然《まい/\ぜん》として長《とこし》えに眼窩《がんか》の奥に漂《たゞよ》うて居《い》る。是は胎毒《たいどく》の為だとも云うし、或《あるい》は疱瘡《ほうそう》の余波《よは》だとも解釈されて、小さい時分はだいぶ柳の虫や赤蛙の厄介《やっかい》になった事もあるそうだが、折角《せっかく》母親の丹誠も、あるに其《その》甲斐あらばこそ、今日《こんにち》迄生れた当時の儘《まゝ》でぼんやりして居《い》る。吾輩ひそかに思うに此《この》状態は決して胎毒《たいどく》や疱瘡《ほうそう》の為ではない。彼の眼玉が斯様《かよう》に晦渋《かいじゅう》溷濁《こんだく》の悲境《ひきょう》に彷徨《ほうこう》して居《い》るのは、とりも直《なお》さず彼の頭脳が不透不明の実質から構成されていて、其《その》作用が暗憺《あんたん》溟濛《めいもう》の極《きょく》に達して居《い》るから、自然とこれが形体の上にあらわれて、知らぬ母親に入《い》らぬ心配を掛けたんだろう。烟《けむり》たって火あるを知り、まなこ濁《にご》って愚《ぐ》なるを証す。して見ると彼の眼は彼の心の象徴で、彼の心は天保銭《てんぽうせん》の如く穴があいて居《い》るから、彼の眼も亦|天保銭《てんぽうせん》と同じく、大きな割合に通用しないに違《ちがい》ない。
今度は髯《ひげ》をねじり始めた。元来から行儀のよくない髯《ひげ》でみんな思い思いの姿勢をとって生えて居《い》る。いくら個人主義が流行《はや》る世の中だって、こう町々《まち/\》に我儘《わがまゝ》を尽くされては持主の迷惑は左《さ》こそと思いやられる。主人もこゝに鑑《かんが》みる所あって近頃は大《おおい》に訓練を与えて、出来得《できう》る限り系統的に按排《あんばい》する様《よう》に尽力して居《い》る。其《その》熱心の功果《こうか》は空《むな》しからずして昨今《さっこん》漸《ようや》く歩調が少しとゝのう様《よう》になって来た。今迄は髯《ひげ》が生えて居《お》ったのであるが、此頃《このごろ》は髯《ひげ》を生やして居《い》るのだと自慢する位になった。熱心は成効《せいこう》の度《ど》に応じて鼓舞《こぶ》せられるものであるから、吾《わ》が髯《ひげ》の前途有望なりと見てとった主人は朝な夕な、手がすいて居《お》れば必ず髯《ひげ》に向って鞭撻《べんたつ》を加える。彼のアムビションは独逸《ドイツ》皇帝陛下の様《よう》に、向上の念の熾《さかん》な髯《ひげ》を蓄《たくわ》えるにある。それだから毛孔《けあな》が横向《よこむき》であろうとも、下向《したむき》であろうとも聊《いさゝ》か頓着《とんじゃく》なく十|把《ぱ》一《ひ》とからげに握っては、上の方へ引っ張り上げる。髯《ひげ》も嘸《さぞ》かし難儀であろう、所有主たる主人すら時々は痛い事もある。がそこが訓練である。否《いや》でも応《おう》でもさかに扱《こ》き上げる。門外漢から見ると気の知れない道楽の様《よう》であるが、当局者|丈《だけ》は至当《しとう》の事と心得て居《い》る。教育者が徒《いたず》らに生徒の本性《ほんせい》を撓《た》めて、僕の手柄を見給えと誇る様《よう》なもので毫《ごう》も非難すべき理由はない。
主人が満腔《まんこう》の熱誠《ねっせい》を以《もっ》て髯《ひげ》を調練して居《い》ると、台所から多角性の御三が郵便が参りましたと、例の如く赤い手をぬっと書斎の中《うち》へ出した。右手《みぎ》に髯《ひげ》をつかみ、左手《ひだり》に鏡を持った主人は、其儘《そのまゝ》入口の方を振りかえる。八の字の尾に逆《さか》さ立ちを命じた様《よう》な髯《ひげ》を見るや否《いな》や御多角《おたかく》はいきなり台所へ引き戻して、ハヽヽヽと御釜の葢《ふた》へ身をもたして笑った。主人は平気なものである。悠々《ゆう/\》と鏡を卸《おろ》して郵便を取り上げた。第一信は活版《かっぱん》ずりで何《なん》だかいかめしい文字《もんじ》が並べてある。読んで見ると
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拝啓|愈《いよ/\》御多祥《ごたしょう》奉賀候《がしたてまつりそろ》回顧すれば日露の戦役《せんえき》は連戦連勝の勢《いきおい》に乗じて平和|克復《こくふく》を告げ吾《わが》忠勇義烈なる将士は今や過半|万歳《ばんぜい》声裡《せいり》に凱歌《がいか》を奏し国民の歓喜何ものか之《これ》に若《し》かん曩《さき》に宣戦の大詔《たいしょう》煥発《かんぱつ》せらるゝや義勇公に奉じたる将士は久しく万里《ばんり》の異境に在《あ》りて克《よ》く寒暑《かんしょ》の苦難を忍び一意戦闘に従事し命《めい》を国家に捧《さゝ》げたるの至誠《しせい》は永く銘《めい》して忘るべからざる所なり而《しこう》して軍隊の凱旋《がいせん》は本月を以《もっ》て殆《ほと》んど終了を告げんとす依《よ》って本会は来《きた》る二十五日を期し本区内一千有余の出征将校下士卒に対し本区民一般を代表し以《もっ》て一大凱旋祝賀会を開催し兼て軍人遺族を慰藉《いしゃ》せんが為め熱誠《ねっせい》之《これ》を迎え聊《いさゝか》感謝の微衷《びちゅう》を表し度《たく》就《つい》ては各位の御協賛を仰《あお》ぎ此《この》盛典を挙行するの幸《さいわい》を得ば本会の面目《めんもく》不過之《これにすぎず》と存候間《ぞんじそろあいだ》何卒《なにとぞ》御賛成|奮《ふる》って義捐《ぎえん》あらんことを只管《ひたすら》希望の至《いたり》に堪《た》えず候敬具
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とあって差し出し人は華族様である。主人は黙読一過の後《のち》直《たゞ》ちに封の中へ巻き納めて知らん顔をして居《い》る。義捐|抔《など》は恐らくしそうにない。先達《せんだっ》て東北凶作の義捐金を二円とか三円とか出してから、逢う人|毎《ごと》に義捐をとられた、とられたと吹聴《ふいちょう》して居《い》る位である。義捐とある以上は差し出すもので、とられるものでないには極《きま》って居《い》る。泥棒にあったのではあるまいし、とられたとは不穏当《ふおんとう》である。然《しか》るにも関せず、盗難にでも罹《かゝ》ったかの如くに思ってるらしい主人が如何《いか》に軍隊の歓迎だと云って、如何《いか》に華族様の勧誘だと云って、強談《ごうだん》で持ちかけたらいざ知らず、活版《かっぱん》の手紙位で金銭を出す様《よう》な人間とは思われない。主人から云えば軍隊を歓迎する前に先《ま》ず自分を歓迎したいのである。自分を歓迎した後《あと》なら大抵のものは歓迎しそうであるが、自分が朝夕《ちょうせき》に差し支《つか》える間は、歓迎は華族様に任《まか》せて置く了見らしい。主人は第二信を取り上げたが「ヤ、是も活版《かっぱん》だ」と云った。
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時下《じか》秋冷《しゅうれい》の候《こう》に候処|貴家《きか》益々《ます/\》御隆盛の段|奉賀上《がしあげたてまつり》候|陳《のぶ》れば本校儀も御承知の通り一昨々年以来二三野心家の為めに妨《さまた》げられ一|時《じ》其《その》極《きょく》に達し候得共《そうらえども》是れ皆|不肖《ふしょう》針作《しんさく》が足らざる所に起因すと存じ深く自《みずか》ら警《いまし》むる所あり臥薪嘗胆《がしんしょうたん》其《そ》の苦辛《くしん》の結果|漸《ようや》く茲《こゝ》に独力|以《もっ》て我が理想に適するだけの校舎新築費を得《う》るの途《みち》を講じ候|其《そ》は別義にも御座なく別冊裁縫秘術綱要と命名せる書冊《しょさつ》出版の義に御座候本書は不肖《ふしょう》針作が多年苦心研究せる工芸上の原理原則に法《のっ》とり真《しん》に肉を裂《さ》き血を絞るの思《おもい》を為して著述せるものに御座候|因《よ》って本書を普《あまね》く一般の家庭へ製本実費に些少《さしょう》の利潤を附して御購求《ごこうきゅう》を願い一面|斯道《しどう》発達の一|助《じょ》となすと同時に又一面には僅少《きんしょう》の利潤を蓄積して校舎建築費に当つる心算《しんさん》に御座候|依《よっ》ては近頃|何共《なんとも》恐縮の至りに存じ候えども本校建築費中へ御寄附|被成下《なしくださる》と御思召《おぼしめ》し茲《こゝ》に呈供《ていきょう》仕候《つかまつりそろ》秘術綱要一部を御購求の上|御侍女《ごじじょ》の方《かた》へなりとも御分与|被成下《なしくだされ》候て御賛同の意《い》を御表章《ごひょうしょう》被成下《なしくだされ》度《たく》伏して懇願|仕候《つかまつりそろ》※[#「勹<夕」、第3水準1-14-76]々《そう/\》敬具
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[#地から6字上げ]大日本女子裁縫最高等大学院
[#地から3字上げ]校長 縫田《ぬいだ》針作 九拝
とある。主人は此《この》鄭重《ていちょう》なる書面を、冷淡に丸めてぽんと屑籠《くずかご》の中へ抛《ほう》り込んだ。折角《せっかく》の針作君の九拝も臥薪嘗胆も何《なん》の役にも立たなかったのは気の毒である。第三信にかゝる。第三信は頗《すこぶ》る風変りの光彩を放《はな》って居《い》る。状袋が紅白のだんだらで、飴ん棒の看板の如くはなやかなる真中《まんなか》に珍野《ちんの》苦沙彌先生|虎皮下《こひか》と八分体《はっぷんたい》で肉太《にくぶと》に認《したゝ》めてある。中からお太《た》さんが出るかどうだか受け合わないが表|丈《だけ》は頗《すこぶ》る立派なものだ。
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若《も》し我《われ》を以《もっ》て天地を律すれば一口《ひとくち》にして西江《せいこう》の水を吸いつくすべく、若《も》し天地を以《もっ》て我《われ》を律すれば我《われ》は則《すなわ》ち陌上《はくじょう》の塵《ちり》のみ。すべからく道《い》え、天地と我《われ》と什※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57]《いんも》の交渉かある。……始めて海鼠《なまこ》を食い出《いだ》せる人は其《その》胆力《たんりょく》に於《おい》て敬《けい》すべく、始めて河豚《ふぐ》を喫《きっ》せる漢《おとこ》は其《その》勇気に於《おい》て重んずべし。海鼠《なまこ》を食《くら》えるものは親鸞《しんらん》の再来にして、河豚《ふぐ》を喫《きっ》せるものは日蓮《にちれん》の分身なり。苦沙彌先生の如きに至っては只|干瓢《かんぴょう》の酢味噌を知るのみ。干瓢の酢味噌を食《くら》って天下の士たるものは、われ未《いま》だ之《これ》を見ず。……
親友も汝を売るべし。父母も汝に私《わたくし》あるべし。愛人も汝を棄つべし。富貴《ふっき》は固《もと》より頼みがたかるべし。爵禄は一|朝《ちょう》にして失うべし。汝の頭中《とうちゅう》に秘蔵する学問には黴《かび》が生えるべし。汝何を恃《たの》まんとするか。天地の裡《うち》に何をたのまんとするか。神?
神は人間の苦しまぎれに捏造《でつぞう》せる土偶《どぐう》のみ。人間のせつな糞《ぐそ》の凝結《ぎょうけつ》せる臭骸《しゅうがい》のみ。恃《たの》むまじきを恃《たの》んで安しと云う。咄々《とつ/\》、酔漢|漫《みだ》りに胡乱《うろん》の言辞を弄《ろう》して、蹣跚《まんさん》として墓に向う。油尽きて燈《とう》自《おのずか》ら滅す。業《ごう》尽きて何物をか遺《のこ》す。苦沙彌先生よろしく御茶でも上がれ。……
人を人と思わざれば畏《おそ》るゝ所なし。人を人と思わざるものが、吾《われ》を吾《われ》と思わざる世を憤《いきどお》るは如何《いかん》。権貴《けんき》栄達の士は人を人と思わざるに於《おい》て得たるが如し。只|他《ひと》の吾《われ》を吾《われ》と思わぬ時に於《おい》て怫然《ふつぜん》として色を作《な》す。任意に色を作《な》し来《きた》れ。馬鹿野郎。……
吾《われ》の人を人と思うとき、他《ひと》の吾《われ》を吾《われ》と思わぬ時、不平家《ふへいか》は発作的に天降《あまくだ》る。此《この》発作的活動を名づけて革命という。革命は不平家の所為《しょい》にあらず。権貴《けんき》栄達の士が好んで産する所なり。朝鮮《ちょうせん》に人参《にんじん》多し先生何が故《ゆえ》に服せざる。
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[#地から3字上げ]在《ざい》巣鴨《すがも》 天道《てんどう》公平《こうへい》 再拝
針作君は九拝であったが、此《この》男は単に再拝|丈《だけ》である。寄附金の依頼でない丈《だけ》に七拝程|横風《おうふう》に構えて居《い》る。寄附金の依頼ではないが其《その》代り頗《すこぶ》る分りにくいものだ。どこの雑誌へ出しても沒書《ぼつしょ》になる価値は充分あるのだから、頭脳の不透明を以《もっ》て鳴る主人は必ず寸断々々《ずた/\》に引き裂《さ》いて仕舞うだろうと思《おもい》の外《ほか》、打ち返し/\読み直《なお》して居《い》る。こんな手紙に意味があると考えて、飽く迄|其《その》意味を究《きわ》めようという決心かも知れない。凡《およ》そ天地の間《かん》にわからんものは沢山《たくさん》あるが意味をつけてつかないものは一つもない。どんなむずかしい文章でも解釈しようとすれば容易に解釈の出来るものだ。人間は馬鹿であると云おうが、人間は利口であると云おうが手もなくわかる事だ。夫所《それどころ》ではない。人間は犬であると云っても豚であると云っても別に苦しむ程の命題ではない。山は低いと云っても構わん、宇宙は狭いと云っても差し支《つかえ》はない。烏《からす》が白くて小町《こまち》が醜婦《しゅうふ》で苦沙彌先生が君子《くんし》でも通らん事はない。だからこんな無意味な手紙でも何《なん》とか蚊《か》とか理窟さえつければどうとも意味はとれる。ことに主人の様《よう》に知らぬ英語を無理矢理にこじ附けて説明し通して来た男は猶更《なおさら》意味をつけたがるのである。天気の悪るいのに何故《なぜ》グード、モーニングですかと生徒に問われて七日《なぬか》考えたり、コロンバスと云う名は日本語で何《なん》と云いますかと聞かれて三日三晩かゝって答《こたえ》を工夫する位な男には、干瓢の酢味噌が天下の士であろうと、朝鮮《ちょうせん》の仁参《にんじん》を食って革命を起そうと随意な意味は随処に湧《わ》き出る訳である。主人は暫《しば》らくしてグード、モーニング流《りゅう》に此《この》難解の言句《ごんく》を呑み込んだと見えて「中々意味|深長《しんちょう》だ。何《なん》でも余程哲理を研究した人に違《ちがい》ない。天晴《あっぱれ》な見識だ」と大変賞賛した。此《この》一|言《ごん》でも主人の愚《ぐ》な所はよく分るが、翻《ひるがえ》って考えて見ると聊《いさゝ》か尤《もっと》もな点もある。主人は何に寄らずわからぬものを難有《ありがた》がる癖を有して居《い》る。是はあながち主人に限った事でもなかろう。分らぬ所には馬鹿に出来ないものが潜伏して、測るべからざる辺には何《なん》だか気高い心持《こゝろもち》が起るものだ。夫《それ》だから俗人はわからぬ事をわかった様《よう》に吹聴《ふいちょう》するにも係《かゝわ》らず、学者はわかった事をわからぬ様《よう》に講釈する。大学の講義でもわからん事を喋舌《しゃべ》る人は評判がよくってわかる事を説明する者は人望がないのでもよく知れる。主人が此《この》手紙に敬服したのも意義が明瞭であるからではない。其《その》主旨《しゅし》が那辺《なへん》に存するか殆《ほと》んど捕《とら》え難《がた》いからである。急に海鼠《なまこ》が出て来たり、せつな糞《ぐそ》が出てくるからである。だから主人が此《この》文章を尊敬する唯《ゆい》一の理由は、道家《どうけ》で道徳経《どうとくきょう》を尊敬し、儒家《じゅか》で易経《えききょう》を尊敬し、禅家《ぜんけ》で臨済録《りんざいろく》を尊敬すると一般で全く分らんからである。但《たゞ》し全然分らんでは気が済まんから勝手な註釈をつけてわかった顔|丈《だけ》はする。わからんものをわかった積《つも》りで尊敬するのは昔から愉快なものである。――主人は恭《うや/\》しく八分体《はっぷんたい》の名筆を巻き納めて、之《これ》を机上に置いた儘《まゝ》懐手《ふところで》をして冥想に沈んで居《い》る。
所へ「頼む/\」と玄関から大きな声で案内を乞う者がある。声は迷亭の様《よう》だが、迷亭に似合わずしきりに案内を頼んで居《い》る。主人は先から書斎のうちで其《その》声を聞いて居《い》るのだが懐手《ふところで》の儘《まゝ》毫《ごう》も動こうとしない。取次《とりつぎ》に出るのは主人の役目でないという主義か、此《この》主人は決して書斎から挨拶《あいさつ》をした事がない。下女は先刻《さっき》洗濯|石鹸《シャボン》を買いに出た。細君は憚《はゞか》りである。すると取次《とりつぎ》に出《で》べきものは吾輩|丈《だけ》になる。吾輩だって出るのはいやだ。すると客人は沓脱《くつぬぎ》から敷台へ飛び上がって障子を開け放《はな》ってつか/\上《あが》り込んで来た。主人も主人だが客も客だ。座敷の方《ほう》へ行ったなと思うと襖《ふすま》を二三度あけたり閉《た》てたりして、今度は書斎の方《ほう》へやってくる。
「おい冗談じゃない。何をして居《い》るんだ、御客さんだよ」
「おや君《きみ》か」
「おや君かもないもんだ。そこに居《い》るなら何《なん》とか云えばいゝのに、丸で空家《あきや》の様《よう》じゃないか」
「うん、ちと考え事があるもんだから」
「考えて居たって通れ[#「通れ」に傍点]位は云えるだろう」
「云えん事もないさ」
「相変らず度胸がいゝね」
「先達《せんだって》から精神の修養を力《つと》めて居《い》るんだもの」
「物好きだな。精神を修養して返事が出来なくった日には来客は御難《ごなん》だね。そんなに落ち付かれちゃ困るんだぜ。実《じつ》は僕一人来たんじゃないよ。大変な御客さんを連れて来たんだよ。一寸《ちょっと》出て逢って呉れ給え」
「誰を連れて来たんだい」
「誰でもいゝから一寸《ちょっと》出て逢ってくれ玉え。是非君に逢いたいと云うんだから」
「誰だい」
「誰でもいゝから立ち玉え」
主人は懐手《ふところで》の儘《まゝ》ぬっと立ちながら「又人を担《かつ》ぐ積《つも》りだろう」と椽側《えんがわ》へ出て何《なん》の気もつかずに客間へ這入り込んだ。すると六尺の床《とこ》を正面に一個の老人が粛然《しゅくぜん》と端坐《たんざ》して控えて居《い》る。主人は思わず懐《ふところ》から両手を出してぺたりと唐紙《からかみ》の傍《そば》へ尻を片づけて仕舞った。是では老人と同じく西向きであるから双方共|挨拶《あいさつ》の仕様がない。昔堅気《むかしかたぎ》の人は礼義《れいぎ》はやかましいものだ。
「さあどうぞあれへ」と床の間の方《ほう》を指《さ》して主人を促《うな》がす。主人は両三年前迄は座敷はどこへ坐っても構わんものと心得て居《い》るのだが、其後《そのご》ある人から床の間の講釈を聞いて、あれは上段の間《ま》の変化したもので、上使《じょうし》が坐わる所だと悟って以来決して床の間へは寄りつかない男である。ことに見ず知らずの年長者が頑《がん》と構えて居《い》るのだから上座所ではない。挨拶《あいさつ》さえ碌《ろく》には出来ない。一応頭をさげて
「さあどうぞあれへ」と向うの云う通りを繰り返した。
「いや夫《それ》では御挨拶が出来かねますから、どうぞあれへ」
「いえ、夫《それ》では……どうぞあれへ」と主人はいゝ加減に先方の口上《こうじょう》を真似て居《い》る。
「どうもそう、御謙遜では恐れ入る。却《かえ》って手前が痛み入る。どうか御遠慮なく、さあどうぞ」
「御謙遜では……恐れますから……どうか」主人は真赤《まっか》になって口をもご/\云わせて居《い》る。精神修養もあまり効果がない様《よう》である。迷亭君は襖《ふすま》の影から笑いながら立見《たちみ》をして居たが、もういゝ時分だと思って、後《うし》ろから主人の尻を押しやりながら
「まあ出玉え。そう唐紙《からかみ》へくっついては僕が坐る所がない。遠慮せずに前へ出たまえ」と無理に割り込んでくる。主人は已《やむ》を得ず前の方《ほう》へすり出る。
「苦沙彌君是が毎々《まい/\》君に噂をする静岡《しずおか》の伯父だよ。伯父さん是が苦沙彌君です」
「いや始めて御目にかゝります、毎度迷亭が出て御邪魔を致すそうで、いつか参上の上御高話を拝聴致そうと存じて居《お》りました所、幸い今日《こんにち》は御近所を通行致したもので、御礼|旁《かた/″\》伺《うかが》った訳で、どうぞ御見知り置かれまして今後共|宜《よろ》しく」と昔し風《ふう》な口上《こうじょう》を淀みなく述べたてる。主人は交際の狭い、無口な人間である上に、こんな古風な爺さんとは殆《ほと》んど出会った事がないのだから、最初から多少|場《ば》うての気味で辟易《へきえき》して居た所へ、滔々《とう/\》と浴びせかけられたのだから、朝鮮《ちょうせん》仁参《にんじん》も飴ん棒の状袋もすっかり忘れて仕舞って只苦し紛《まぎ》れに妙な返事をする。
「私《わたくし》も……私《わたくし》も……一寸《ちょっと》伺《うか》がう筈《はず》でありました所……何分《なにぶん》よろしく」と云い終って頭を少々畳から上げて見ると老人は未《いま》だに平伏して居《い》るので、はっと恐縮して又頭をぴたりと着けた。
老人は呼吸を計って首をあげながら「私《わたくし》ももとはこちらに屋敷も在《あ》って、永らく御膝元でくらしたものですが、瓦解の折《おり》にあちらへ参ってから頓《とん》と出てこんのでな。今来て見ると丸で方角も分らん位で、――迷亭にでも伴《つ》れてあるいてもらわんと、とても用達《ようたし》も出来ません。滄桑《そう/\》の変とは申しながら、御入国以来三百年も、あの通り将軍家の……」と云いかけると迷亭先生面倒だと心得て
「伯父さん将軍家も難有《ありがた》いかも知れませんが、明治の代《よ》も結構ですぜ。昔は赤十字なんてものもなかったでしょう」
「それはない。赤十字|抔《など》と称するものは全くない。ことに宮様の御顔を拝むなどゝ云う事は明治の御代《みよ》でなくては出来ぬ事だ。わしも長生きをした御蔭《おかげ》で此《この》通り今日《こんにち》の総会にも出席するし、宮殿下の御声もきくし、もう是で死んでもいゝ」
「まあ久し振りで東京見物をする丈《だけ》でも得《とく》ですよ。苦沙彌君、伯父はね、今度赤十字の総会があるのでわざ/\静岡《しずおか》から出て来てね、今日|一所《いっしょ》に上野《うえの》へ出掛けたんだが今|其《その》帰りがけなんだよ。夫《それ》だから此《この》通り先日僕が白木屋《しらきや》へ注文したフロックコートを着て居《い》るのさ」と注意する。成程フロックコートを着て居《い》る。フロックコートは着て居《い》るがすこしもからだに合わない。袖が長過ぎて、襟《えり》がおっ開《ぴら》いて、脊中《せなか》へ池が出来て、腋《わき》の下が釣るし上がって居《い》る。いくら不恰好に作ろうと云ったって、こう迄念を入れて形を崩す訳にはゆかないだろう。其上《そのうえ》白シャツと白襟《しろえり》が離れ離《ばな》れになって、仰《あお》むくと間から咽喉仏《のどぼとけ》が見える。第一黒い襟《えり》飾りが襟《えり》に属して居《い》るのか、シャツに属して居《い》るのか判然しない。フロックはまだ我慢が出来るが白髪《しらが》のチョン髷《まげ》は甚《はなは》だ奇観である。評判の鉄扇《てっせん》はどうかと目を注《つ》けると膝の横にちゃんと引きつけて居《い》る。主人は此《この》時|漸《ようや》く本心に立ち返って、精神修養の結果を存分に老人の服装に応用して少々驚いた。まさか迷亭の話程ではなかろうと思って居たが、逢って見ると話以上である。もし自分のあばた[#「あばた」に傍点]が歴史的研究の材料になるならば、此《この》老人のチョン髷《まげ》や鉄扇《てっせん》は慥《たし》かにそれ以上の価値がある。主人はどうかして此《この》鉄扇《てっせん》の由来を聞いて見たいと思ったが、まさか、打ちつけに質問する訳には行《ゆ》かず、と云って話を途切らすのも礼に欠けると思って
「大分《だいぶ》人が出ましたろう」と極《きわ》めて尋常な問《とい》をかけた。
「いや非常な人で、それで其《その》人が皆わしをじろ/\見るので――どうも近来は人間が物見高くなった様《よう》でがすな。昔しはあんなではなかったが」
「えゝ、左様《さよう》、昔はそんなではなかったですな」と老人らしい事を云う。是はあながち主人が知っ高振《たかぶ》りをした訳ではない。但《たゞ》朦朧《もうろう》たる頭脳から好《い》い加減に流れ出す言語と見れば差し支《つかえ》ない。
「それにな。皆|此《この》甲《かぶと》割りへ目を着けるので」
「其《その》鉄扇《てっせん》は大分《だいぶ》重いもので御座いましょう」
「苦沙彌君、一寸《ちょっと》持って見玉え。中々重いよ。伯父さん持たして御覧なさい」
老人は重たそうに取り上げて「失礼でがすが」と主人に渡す。京都の黒谷《くろだに》で参詣人が蓮生坊《れんしょうぼう》の太刀《たち》を戴《いたゞ》く様《よう》なかたで、苦沙彌先生しばらく持って居たが「成程」と云った儘《まゝ》老人に返却した。
「みんなが之《これ》を鉄扇々々《てっせん/\》と云うが、之《これ》は甲割《かぶとわり》と称《とな》えて鉄扇《てっせん》とは丸で別物で……」
「へえ、何《なん》にしたもので御座いましょう」
「兜《かぶと》を割るので、――敵の目がくらむ所を撃ちとったものでがす。楠《くすのき》正成《まさしげ》時代から用いたようで……」
「伯父さん、そりゃ正成《まさしげ》の甲割《かぶとわり》ですかね」
「いえ、是は誰のかわからん。然《しか》し時代は古い。建武《けんむ》時代の作かも知れない」
「建武《けんむ》時代かも知れないが、寒月君は弱っていましたぜ。苦沙彌君、今日帰りに丁度いゝ機会だから大学を通り抜ける序《つい》でに理科へ寄って、物理の実験室を見せて貰った所がね。此《この》甲割《かぶとわり》が鉄だものだから、磁力の器械が狂って大騒ぎさ」
「いや、そんな筈《はず》はない。是は建武《けんむ》時代の鉄で、性《しょう》のいゝ鉄だから決してそんな虞《おそ》れはない」
「いくら性《しょう》のいゝ鉄だってそうはいきませんよ。現に寒月がそう云ったから仕方がないです」
「寒月というのは、あのガラス球《だま》を磨《す》って居《い》る男かい。今の若さに気の毒な事だ。もう少し何かやる事がありそうなものだ」
「可愛想《かあいそう》に、あれだって研究でさあ。あの球《たま》を磨《す》り上げると立派な学者になれるんですからね」
「玉を磨《す》りあげて立派な学者になれるなら、誰にでも出来る。わしにも出来る。ビードロやの主人にでも出来る。あゝ云う事をする者を漢土《かんど》では玉人《ぎょくじん》と称したもので至って身分の軽いものだ」と云いながら主人の方《ほう》を向いて暗《あん》に賛成を求める。
「成程」と主人はかしこまって居《い》る。
「凡《すべ》て今の世の学問は皆|形而下《けいじか》の学で一寸《ちょっと》結構な様《よう》だが、いざとなるとすこしも役には立ちませんてな。昔はそれと違って侍は皆命懸けの商売だから、いざと云う時に狼狽《ろうばい》せぬ様《よう》に心の修業を致したもので、御承知でもあらっしゃろうが中々玉を磨《す》ったり針金を綯《よ》ったりする様《よう》な容易《たやす》いものではなかったのでがすよ」
「成程」と矢張りかしこまって居《い》る。
「伯父さん心の修業と云うものは玉を磨《す》る代りに懐手《ふところで》をして坐り込んでるんでしょう」
「夫《それ》だから困る。決してそんな造作《ぞうさ》のないものではない。孟子《もうし》は求放心《きゅうほうしん》と云われた位だ。邵康節《しょうこうせつ》は心要放《しんようほう》と説いた事もある。又|仏家《ぶっか》では中峯《ちゅうほう》和尚《おしょう》と云うのが具不退転《ぐふたいてん》と云う事を教えて居《い》る。中々容易には分らん」
「到底分りっこありませんね。全体どうすればいゝんです」
「御前《おまえ》は沢庵《たくあん》禅師《ぜんじ》の不動智神妙録《ふどうちしんみょうろく》というものを読んだ事があるかい」
「いゝえ、聞いた事もありません」
「心を何処《どこ》に置こうぞ。敵の身の働《はたらき》に心を取らるゝなり。敵の太刀《たち》に心を置けば、敵の太刀《たち》に心を取らるゝなり。敵を切らんと思う所に心を置けば、敵を切らんと思う所に心を取らるゝなり。我《わが》太刀《たち》に心を置けば、我《わが》太刀《たち》に心を取らるゝなり。われ切られじと思う所に心を置けば、切られじと思う所に心を取らるゝなり。人の構《かまえ》に心を置けば、人の構《かまえ》に心を取らるゝなり。兎角心の置き所はないとある」
「よく忘れずに諳誦《あんしょう》したものですね。伯父さんも中々記憶がいゝ。長いじゃありませんか。苦沙彌君分ったかい」
「成程」と今度も成程で済まして仕舞った。
「なあ、あなた、そうで御座りましょう。心を何処《どこ》に置こうぞ、敵の身の働《はたらき》に心を置けば、敵の働《はたらき》に心を取らるゝなり。敵の太刀《たち》に心を置けば……」
「伯父さん苦沙彌君はそんな事は、よく心得て居《い》るんですよ。近頃は毎日書斎で精神の修養ばかりして居《い》るんですから。客があっても取次《とりつぎ》に出ない位心を置き去りにして居《い》るんだから大丈夫ですよ」
「や、それは御奇特《ごきどく》な事で――御前《おまえ》抔《など》もちと御一所《ごいっしょ》にやったらよかろう」
「ヘヽヽそんな暇《ひま》はありませんよ。伯父さんは自分が楽なからだだもんだから、人も遊んでると思って居《い》らっしゃるんでしょう」
「実際遊んでるじゃないかの」
「所が閑中《かんちゅう》自《おのず》から忙《ぼう》ありでね」
「そう、疎忽《そこつ》だから修業せんといかないと云うのよ、忙中《ぼうちゅう》自《おのず》から閑《かん》ありと云う成句《せいく》はあるが、閑中《かんちゅう》自《おのず》から忙《ぼう》ありと云うのは聞いた事がない。なあ苦沙彌さん」
「えゝ、どうも聞きません様《よう》で」
「ハヽヽヽそうなっちゃあ敵《かな》わない。時に伯父さんどうです。久し振りで東京の鰻《うなぎ》でも食っちゃあ。竹葉《ちくよう》でも奢《おご》りましょう。是から電車で行《ゆ》くとすぐです」
「鰻《うなぎ》も結構だが、今日は是からすい[#「すい」に傍点]原《はら》へ行《ゆ》く約束があるから、わしは是で御免を蒙《こうむ》ろう」
「あゝ杉原《すぎはら》ですか、あの爺さんも達者ですね」
「杉原ではない、すい[#「すい」に傍点]原さ。御前《おまえ》はよく間違《まちがい》ばかり云って困る。他人の姓名を取り違えるのは失礼だ。よく気をつけんといけない」
「だって杉原とかいてあるじゃありませんか」
「杉原と書いてすい[#「すい」に傍点]原と読むのさ」
「妙ですね」
「なに妙な事があるものか。名目《みょうもく》読みと云って昔からある事さ。蚯蚓《きゅういん》を和名《わみょう》でみゝず[#「みゝず」に傍点]と云う。あれは目見ず[#「目見ず」に傍点]の名目《みょうもく》よみで。蝦蟆《がま》の事をかいる[#「かいる」に傍点]と云うのと同じ事さ」
「へえ、驚ろいたな」
「蝦蟆《がま》を打ち殺すと仰向《あおむ》きにかえる[#「かえる」に傍点]。それを名目《みょうもく》読みにかいる[#「かいる」に傍点]と云う。透垣《すきがき》をすい[#「すい」に傍点]垣、茎立《くきたて》をくゝ[#「くゝ」に傍点]立《たて》、皆同じ事だ。杉原《すいはら》をすぎ原などゝ云うのは田舎《いなか》ものゝ言葉さ。少し気を付けないと人に笑われる」
「じゃ、そのすい[#「すい」に傍点]原へ是から行《ゆ》くんですか。困ったな」
「なに厭《いや》なら御前《おまえ》は行《ゆ》かんでもいゝ。わし一人で行くから」
「一人で行《ゆ》けますかい」
「あるいては六《む》ずかしい。車を雇《やと》って頂《いたゞ》いて、こゝから乗って行《ゆ》こう」
主人は畏《かしこ》まって直《たゞ》ちに御三《おさん》を車屋へ走らせる。老人は長々と挨拶《あいさつ》をしてチョン髷《まげ》頭へ山高帽をいたゞいて帰って行《ゆ》く。迷亭はあとへ残る。
「あれが君の伯父さんか」
「あれが僕の伯父さんさ」
「成程」と再び座蒲団《ざぶとん》の上へ坐ったなり懐手《ふところで》をして考え込んで居《い》る。
「ハヽヽ豪傑だろう。僕もあゝ云う伯父さんを持って仕合せなものさ。どこへ連れて行ってもあの通りなんだぜ。君驚ろいたろう」と迷亭君は主人を驚ろかした積《つも》りで大《おおい》に喜んで居《い》る。
「なにそんなに驚きやしない」
「あれで驚かなけりゃ、胆力《たんりょく》の据《すわ》ったもんだ」
「然《しか》しあの伯父さんは中々えらい所がある様《よう》だ。精神の修養を主張する所なぞは大《おおい》に敬服していゝ」
「敬服していゝかね。君も今に六十位になると矢っ張りあの伯父見た様《よう》に、時候おくれになるかも知れないぜ。確《しっ》かりして呉れ玉え。時候おくれの廻り持ちなんか気が利《き》かないよ」
「君はしきりに時候おくれを気にするが、時と場合によると、時候おくれの方《ほう》がえらい[#「えらい」に傍点]んだぜ。第一今の学問と云うものは先へ先へと行《ゆ》く丈《だけ》で、どこ迄行ったって際限はありゃしない。到底満足は得られやしない。そこへ行《ゆ》くと東洋流の学問は消極的で大《おおい》に味《あじわい》がある。心|其《その》ものゝ修業をするのだから」と先達《せんだっ》て哲学者から承《うけたま》わった通りを自説の様《よう》に述べ立てる。
「えらい事になって来たぜ。何《なん》だか八木《やぎ》獨仙《どくせん》君の様《よう》な事を云ってるね」
八木獨仙と云う名を聞いて主人ははっと驚ろいた。実《じつ》は先達《せんだっ》て臥龍窟《がりょうくつ》を訪問して主人を説服《せっぷく》に及んで悠然と立ち帰った哲学者と云うのが取《とり》も直《なお》さず此《この》八木獨仙君であって、今主人が鹿爪《しかつめ》らしく述べ立てゝ居《い》る議論は全く此《この》八木獨仙君の受売《うけうり》なのであるから、知らんと思った迷亭が此《この》先生の名を間不容髪《かんふようはつ》の際《さい》に持ち出したのは暗《あん》に主人の一|夜《や》作りの仮鼻《かりばな》を挫《くじ》いた訳になる。
「君獨仙の説を聞いた事があるのかい」と主人は剣呑《けんのん》だから念を推《お》して見る。
「聞いたの、聞かないのって、あの男の説ときたら、十年|前《ぜん》学校に居た時分と今日《こんにち》と少しも変りゃしない」
「真理はそう変るものじゃないから、変らない所が頼母《たのも》しいかも知れない」
「まあそんな贔屓《ひいき》があるから獨仙もあれで立ち行《ゆ》くんだね。第一八木と云う名からして、よく出来てるよ。あの髯《ひげ》が君全く山羊《やぎ》だからね。そうしてあれも寄宿舎時代からあの通りの恰好《かっこう》で生えて居たんだ。名前の獨仙|抔《など》も振ったものさ。昔し僕の所へ泊りがけに来て例の通り消極的の修養と云う議論をしてね。いつ迄立っても同じ事を繰り返して已《や》めないから、僕が君もう寝ようじゃないかと云うと、先生気楽なものさ、いや僕は眠くないと澄《すま》し切って、矢っ張り消極論をやるには迷惑したね。仕方がないから君は眠くなかろうけれども、僕の方《ほう》は大変眠いのだから、どうか寝て呉れ玉えと頼むようにして寝かした迄はよかったが――其《その》晩鼠が出て獨仙君の鼻のあたまを噛《かじ》ってね。夜《よ》なかに大騒ぎさ。先生悟った様《よう》な事を云うけれども命は依然として惜しかったと見えて、非常に心配するのさ。鼠の毒が総身《そうしん》にまわると大変だ、君どうかしてくれと責めるには閉口したね。夫《そ》れから仕方がないから台所へ行って紙片《かみぎれ》へ飯粒《めしつぶ》を貼って胡魔化《ごまか》してやったあね」
「どうして」
「是は舶来《はくらい》の膏薬《こうやく》で、近来|独逸《ドイツ》の名医が発明したので、印度人《インドじん》抔《など》の毒蛇に噛《か》まれた時に用いると即効があるんだから、是さえ貼って置けば大丈夫だと云ってね」
「君は其《その》時分から胡魔化《ごまか》す事に妙《みょう》を得て居たんだね」
「……すると獨仙君はあゝ云う好人物だから、全くだと思って安心してぐう/\寐《ね》て仕舞ったのさ。あくる日起きて見ると膏薬《こうやく》の下から糸屑《いとくず》がぶらさがって例の山羊《やぎ》髯《ひげ》に引っかゝって居たのは滑稽《こっけい》だったよ」
「然《しか》しあの時分より大分《だいぶ》えらく[#「えらく」に傍点]なった様《よう》だよ」
「君近頃逢ったのかい」
「一週間|許《ばか》り前に来て、長い間話しをして行った」
「どうりで獨仙|流《りゅう》の消極説を振り舞わすと思った」
「実《じつ》は其時《そのとき》大《おおい》に感心して仕舞ったから、僕も大《おおい》に奮発して修養をやろうと思ってる所なんだ」
「奮発は結構だがね。あんまり人の云う事を真《ま》に受けると馬鹿を見るぜ。一体君は人の言う事を何《なん》でも蚊《か》でも正直に受けるからいけない。獨仙も口|丈《だけ》は立派なものだがね、いざとなると御互《おたがい》と同じものだよ。君九年前の大地震《おおじしん》を知ってるだろう。あの時寄宿の二階から飛び降りて怪我《けが》をしたものは獨仙君|丈《だけ》なんだからな」
「あれには当人|大分《だいぶ》説がある様《よう》じゃないか」
「そうさ、当人に云わせると頗《すこぶ》る難有《ありがた》いものさ。禅の機鋒《きほう》は峻峭《しゅんしょう》なもので、所謂《いわゆる》|石火《せっか》の機となると怖い位早く物に応ずる事が出来る。ほかのものが地震だと云って狼狽《うろた》えて居《い》る所を自分|丈《だけ》は二階の窓から飛び下りた所に修業の効があらわれて嬉しいと云って、跛《びっこ》を引きながらうれしがって居た。負惜《まけおし》みの強い男だ。一体禅とか仏《ぶつ》とか云って騒ぎ立てる連中《れんじゅう》程あやしいのはないぜ」
「そうかな」と苦沙彌先生少々腰が弱くなる。
「此間《このあいだ》来た時禅宗坊主の寐言《ねごと》見た様《よう》な事を何か云ってったろう」
「うん電光影裏《でんこうえいり》に春風《しゅんぷう》をきるとか云う句を教えて行ったよ」
「其《その》電光さ。あれが十年前からの御箱《おはこ》なんだから可笑《おか》しいよ。無覚《むかく》禅師《ぜんじ》の電光ときたら寄宿舎中誰も知らないものはない位だった。夫《それ》に先生時々せき込むと電光影裏を逆《さか》さまに春風影裏に電光をきると云うから面白い。今度ためして見玉え。向《むこう》で落ち付き払って述べたてゝ居《い》る所を、こっちで色々反対するんだね。するとすぐ顛倒《てんどう》して妙な事を云うよ」
「君の様《よう》ないたずらものに逢っちゃ叶《かな》わない」
「どっちがいたずら者だか分りゃしない。僕は禅坊主だの、悟ったのは大嫌《だいきらい》だ。僕の近所に南蔵院《なんぞういん》と云う寺があるが、あすこに八十|許《ばか》りの隠居が居《い》る。それで此間《このあいだ》の白雨《ゆうだち》の時|寺内《じない》へ雷《らい》が落ちて隠居の居《い》る庭先の松の木を割《さ》いて仕舞った。所が和尚《おしょう》泰然として平気だと云うから、よく聞き合わせて見るとから聾《つんぼ》なんだね。それじゃ泰然たる訳さ。大概そんなものさ。獨仙も一人で悟って居ればいゝのだが、稍《やゝ》ともすると人を誘い出すから悪い。現に獨仙の御蔭《おかげ》で二人ばかり気狂《きちがい》にされているからな」
「誰が」
「誰がって。一人は理野《りの》陶然《とうぜん》さ。獨仙の御蔭《おかげ》で大《おおい》に禅学に凝《こ》り固まって鎌倉《かまくら》へ出掛けて行って、とう/\出先《でさき》で気狂《きちがい》になって仕舞った。円覚寺《えんがくじ》の前に汽車の踏切りがあるだろう、あの踏切り内へ飛び込んでレールの上で座禅をするんだね。夫《それ》で向うから来る汽車をとめて見せると云う大気焔《だいきえん》さ。尤《もっと》も汽車の方《ほう》で留《とま》ってくれたから一|命《めい》丈《だけ》はとりとめたが、其《その》代り今度は火に入《い》って焼けず、水に入《い》って溺《おぼ》れぬ金剛不壊《こんごうふえ》のからだゞと号して寺内《じない》の蓮池へ這入ってぶく/\あるき廻ったもんだ」
「死んだかい」
「其時《そのとき》も幸《さいわい》、道場の坊主が通りかゝって助けてくれたが、其後《そのご》東京へ帰ってから、とう/\腹膜炎で死んで仕舞った。死んだのは腹膜炎だが、腹膜炎になった原因は僧堂で麦飯や万年漬《まんねんづけ》を食ったせいだから、詰る所は間接に獨仙が殺した様《よう》なものさ」
「無暗《むやみ》に熱中するのも善《よ》し悪《あ》ししだね」と主人は一寸《ちょっと》気味のわるいという顔付《かおつき》をする。
「本当にさ。獨仙にやられたのがもう一人同窓中にある」
「あぶないね。誰だい」
「立町《たちまち》老梅《ろうばい》君さ。あの男も全く獨仙にそゝのかされて鰻《うなぎ》が天上《てんじょう》する様《よう》な事ばかり言って居たが、とう/\君本物になって仕舞った」
「本物たあ何《なん》だい」
「とう/\鰻《うなぎ》が天上《てんじょう》して、豚が仙人になったのさ」
「何《なん》の事だい、それは」
「八木が獨仙なら、立町は豚仙さ、あの位食い意地のきたない男はなかったが、あの食意地《くいいじ》と禅坊主のわる意地が併発したのだから助からない。始めは僕等も気がつかなかったが今から考えると妙な事ばかり並べて居たよ。僕のうち抔《など》へ来て君あの松の木へカツレツが飛んできやしませんかの、僕の国では蒲鉾《かまぼこ》が板へ乗って泳いで居ますのって、頻《しき》りに警句を吐いたものさ。只吐いて居《い》るうちはよかったが君表のどぶ[#「どぶ」に傍点]へ金とんを[#「とんを」に傍点]掘りに行《ゆ》きましょうと促《うな》がすに至っては僕も降参したね。夫《それ》から二三日《にさんち》すると遂《つい》に豚仙になって巣鴨《すがも》へ収容されて仕舞った。元来豚なんぞが気狂《きちがい》になる資格はないんだが、全く獨仙の御蔭《おかげ》であすこ迄漕ぎ付けたんだね。獨仙の勢力も中々えらいよ」
「へえ、今でも巣鴨《すがも》に居《い》るのかい」
「居《い》るだんじゃない。自大狂《じだいきょう》で大気焔を吐いて居《い》る。近頃は立町老梅なんて名はつまらないと云うので、自《みずか》ら天道《てんどう》公平と号して、天道《てんどう》の権化《ごんげ》を以《もっ》て任じて居《い》る。すさまじいものだよ。まあ一寸《ちょっと》行って見給え」
「天道公平?」
「天道公平だよ。気狂《きちがい》の癖にうまい名をつけたものだね。時々は孔平とも書く事がある。夫《それ》で何《なん》でも世人《せじん》が迷ってるから是非救ってやりたいと云うので、無暗《むやみ》に友人や何かへ手紙を出すんだね。僕も四五通貰ったが、中には中々長い奴があって不足税を二度|許《ばか》りとられたよ」
「夫《それ》じゃ僕の所《とこ》へ来たのも老梅から来たんだ」
「君の所《とこ》へも来たのかい。そいつは妙《みょう》だ。矢っ張り赤い状袋だろう」
「うん、真中《まんなか》が赤くて左右が白い。一|風《ぷう》変った状袋だ」
「あれはね、わざ/\支那から取り寄せるのだそうだよ。天の道は白なり、地の道は白なり、人は中間に在《あ》って赤しと云う豚仙の格言を示したんだって……」
「中々|因縁《いんねん》のある状袋だね」
「気狂《きちがい》丈《だけ》に大《おおい》に凝《こ》ったものさ。そうして気狂《きちがい》になっても食意地《くいいじ》丈《だけ》は依然として存して居《い》るものと見えて、毎回必ず食物《くいもの》の事がかいてあるから奇妙だ。君の所《とこ》へも何《なん》とか云って来たろう」
「うん、海鼠《なまこ》の事がかいてある」
「老梅は海鼠《なまこ》が好きだったからね。尤《もっと》もだ。夫《それ》から?」
「夫《それ》から河豚《ふぐ》と朝鮮仁参《ちょせんにんじん》か何か書いてある」
「河豚《ふぐ》と朝鮮仁参《ちょうせんにんじん》の取り合せは旨《うま》いね。大方《おおかた》河豚《ふぐ》を食って中《あた》ったら朝鮮仁参を煎《せん》じて飲めとでも云う積《つも》りなんだろう」
「そうでもない様《よう》だ」
「そうでなくても構わないさ。どうせ気狂《きちがい》だもの。夫《そ》れっきりかい」
「まだある。苦沙彌先生御茶でも上がれと云う句がある」
「アハヽヽ御茶でも上がれはきびし過ぎる。夫《それ》で大《おおい》に君をやり込めた積《つも》りに違《ちがい》ない。大出来《おおでき》だ。天道公平君万歳だ」と迷亭先生は面白がって、大《おおい》に笑い出す。主人は少《すくな》からざる尊敬を以《もっ》て反覆《はんぷく》読誦《どくしょう》した書翰《しょかん》の差出人が金箔つきの狂人であると知ってから、最前《さいぜん》の熱心と苦心が何《なん》だか無駄骨の様《よう》な気がして腹立たしくもあり、又|瘋癲《ふうてん》病者の文章を左程心労して翫味《がんみ》したかと思うと恥ずかしくもあり、最後に狂人の作に是程感服する以上は自分も多少神経に異状がありはせぬかとの疑念もあるので、立腹と、慚愧《ざんき》と、心配の合併した状態で何《なん》だか落ち付かない顔付《かおつき》をして控《ひか》えて居《い》る。
折《おり》から表格子《おもてごうし》をあらゝかに開けて、重い靴の音が二《ふ》た足程|沓脱《くつぬぎ》に響いたと思ったら「一寸《ちょっと》頼みます、一寸《ちょっと》頼みます」と大きな声がする。主人の尻の重いに反して迷亭は頗《すこぶ》る気軽な男であるから、御三の取次《とりつぎ》に出るのも待たず、通れ[#「通れ」に傍点]と云いながら隔《へだ》ての中の間《ま》を二《ふ》た足|許《ばか》り飛び越えて玄関に躍《おど》り出した。人のうちへ案内も乞わずにつか/\這入り込む所は迷惑の様《よう》だが、人のうちへ這入った以上は書生同様|取次《とりつぎ》を務《つと》めるから甚《はなは》だ便利である。いくら迷亭でも御客さんには相違ない、其《その》御客さんが玄関へ出張するのに主人たる苦沙彌先生が座敷へ構え込んで動かん法はない。普通の男ならあとから引き続いて出陣すべき筈《はず》であるが、そこが苦沙彌先生である。平気に座布団《ざぶとん》の上へ尻を落ち付けて居《い》る。但《たゞ》し落ち付けて居《い》るのと、落ち付いて居《い》るのとは、其《その》趣《おもむき》は大分《だいぶ》似て居《い》るが、其《その》実《じつ》質は余程違う。
玄関へ飛び出した迷亭は何かしきりに弁じて居たが、やがて奥の方を向いて「おい御主人|一寸《ちょっと》御足労だが出てくれ玉え。君でなくっちゃ、間《ま》に合わない」と大きな声を出す。主人は已《やむ》を得ず懐手《ふところで》の儘《まゝ》のそり/\と出てくる。見ると迷亭君は一枚の名刺を握った儘《まゝ》しゃがんで挨拶《あいさつ》をして居《い》る。頗《すこぶ》る威厳のない腰つきである。其《その》名刺には警視庁刑事巡査吉田虎藏とある。虎藏君と並んで立って居《い》るのは二十五六の脊《せい》の高い、いなせ[#「いなせ」に傍点]な唐桟《とうざん》ずくめの男である。妙な事に此《この》男は主人と同じく懐手《ふところで》をした儘《まゝ》、無言で突立《つった》っている。何《なん》だか見た様《よう》な顔だと思って能《よ》く/\観察すると、見た様《よう》な所《どころ》じゃない。此間《このあいだ》深夜御来訪になって山の芋を持って行《ゆ》かれた泥棒君である。おや今度は白昼《はくちゅう》公然と玄関から御出《おいで》になったな。
「おい此《この》方《かた》は刑事巡査で先達《せんだっ》ての泥棒をつらまえたから、君に出頭しろと云うんで、わざ/\御出《おいで》になったんだよ」
主人は漸《ようや》く刑事が踏み込んだ理由が分ったと見えて、頭をさげて泥棒の方《ほう》を向いて鄭寧《ていねい》に御辞儀をした。泥棒の方《ほう》が虎藏君より男振りがいゝので、こっちが刑事だと早合点《はやがてん》をしたのだろう。泥棒も驚ろいたに相違ないが、まさか私が泥棒ですよと断わる訳にも行《ゆ》かなかったと見えて、澄まして立って居《い》る。矢張り懐手《ふところで》の儘《まゝ》である。尤《もっと》も手錠をはめて居《い》るのだから、出そうと云っても出る気遣《きづかい》はない。通例のものなら此《この》様子で大抵はわかる筈《はず》だが、この主人は当世の人間に似合わず、無暗《むやみ》に役人や警察を難有《ありがた》がる癖がある。御上《おかみ》の御威光となると非常に恐しいものと心得《こゝろえ》て居《い》る。尤《もっと》も理論上から云うと、巡査なぞは自分達が金を出して番人に雇って置くのだ位の事は心得《こゝろえ》て居《い》るのだが、実際に臨《のぞ》むといやにへえ/\する。主人のおやじは其《その》昔場末の名主であったから、上の者にぴょこ/\頭を下げて暮した習慣が、因果となって斯様《かよう》に子に酬《むく》ったのかも知れない。まことに気の毒な至りである。
巡査は可笑《おか》しかったと見えて、にや/\笑いながら「あしたね、午前九時迄に日本堤《にほんづゝみ》の分署迄来て下さい。――盗難品は何《なん》と何《なん》でしたかね」
「盗難品は……」と云いかけたが、生憎《あいにく》先生大概忘れて居《い》る。只覚えて居《い》るのは多々良三平の山の芋|丈《だけ》である。山の芋|抔《など》はどうでも構わんと思ったが、盗難品は……と云いかけてあとが出ないのは如何《いか》にも与太郎の様《よう》で体裁《ていさい》がわるい。人が盗まれたならいざ知らず、自分が盗まれて置きながら、明瞭の答《こたえ》が出来んのは一人前ではない証拠だと、思い切って「盗難品は……山の芋一箱」とつけた。
泥棒は此《この》時余程|可笑《おか》しかったと見えて、下を向いて着物の襟《えり》へあごを入れた。迷亭はアハヽヽと笑いながら「山の芋が余程惜しかったと見えるね」と云った。巡査|丈《だけ》は存外真面目である。
「山の芋は出ない様《よう》だが外《ほか》の物件は大概戻った様《よう》です。――まあ来て見たら分るでしょう。夫《それ》でね、下《さ》げ渡したら請書《うけしょ》が入《い》るから、印形《いんぎょう》を忘れずに持って御出《おいで》なさい。――九時迄に来なくってはいかん。日本堤《にほんづゝみ》分署です。――浅草《あさくさ》警察署の管轄内《かんかつない》の日本堤《にほんづゝみ》分署です。――それじゃ、左様《さよう》なら」と独《ひと》りで弁じて帰って行《ゆ》く。泥棒君も続いて門を出る。手が出せないので、門をしめる事が出来ないから開け放《はな》しの儘《まゝ》行って仕舞った。恐れ入りながらも不平と見えて、主人は頬をふくらして、ぴしゃりと立て切った。
「アハヽヽ君は刑事を大変尊敬するね。つねにあゝ云う恭謙《きょうけん》な態度を持ってるといゝ男だが、君は巡査|丈《だけ》に鄭寧《ていねい》なんだから困る」
「だって折角《せっかく》知らせて来てくれたんじゃないか」
「知らせに来るったって、先は商売だよ。当り前にあしらってりゃ沢山《たくさん》だ」
「然《しか》し只の商売じゃない」
「無論只の商売じゃない。探偵と云ういけすかない商売さ。あたり前の商売より下等だね」
「君そんな事を云うと、ひどい目に逢うぜ」
「ハヽヽ夫《そ》れじゃ刑事の悪口《わるくち》はやめにしよう。然《しか》し君刑事を尊敬するのは、まだしもだが、泥棒を尊敬するに至っては、驚かざるを得んよ」
「誰が泥棒を尊敬したい」
「君がしたのさ」
「僕が泥棒に近付きがあるもんか」
「あるもんかって君は泥棒に御辞儀をしたじゃないか」
「いつ?」
「たった今平身低頭したじゃないか」
「馬鹿あ云ってら、あれは刑事だね」
「刑事があんななり[#「なり」に傍点]をするものか」
「刑事だからあんななり[#「なり」に傍点]をするんじゃないか」
「頑固《がんこ》だな」
「君こそ頑固《がんこ》だ」
「まあ第一、刑事が人の所へ来てあんなに懐手《ふところで》なんかして、突立《つったっ》て居《い》るものかね」
「刑事だって懐手《ふところで》をしないとは限るまい」
「そう猛烈にやって来ては恐れ入るがね。君が御辞儀をする間あいつは始終《しじゅう》あの儘《まゝ》で立って居たのだぜ」
「刑事だから其《その》位の事はあるかも知れんさ」
「どうも自信家だな。いくら云っても聞かないね」
「聞かないさ。君は口先|許《ばか》りで泥棒だ泥棒だと云ってる丈《だけ》で、其《その》泥棒が這入る所を見届けた訳じゃないんだから。たゞそう思って独《ひと》りで強情《ごうじょう》を張ってるんだ」
迷亭も是《こゝ》に於《おい》て到底|済度《さいど》すべからざる男と断念したものと見えて、例に似ず黙って仕舞った。主人は久し振りで迷亭を凹《へこ》ましたと思って大《だい》得意である。迷亭から見ると主人の価値は強情《ごうじょう》を張った丈《だけ》下落した積《つも》りであるが、主人から云うと強情《ごうじょう》を張った丈《だけ》迷亭よりえらくなったのである。世の中にはこんな頓珍漢な事はまゝある。強情《ごうじょう》さえ張り通せば勝った気で居《い》るうちに、当人の人物としての相場は遙かに下落して仕舞う。不思議な事に頑固《がんこ》の本人は死ぬ迄自分は面目《めんぼく》を施《ほど》こした積《つも》りかなにかで、其時《そのとき》以後人が軽蔑して相手にして呉れないのだとは夢にも悟り得ない。幸福なものである。こんな幸福を豚的幸福と名づけるのだそうだ。
「兎も角もあした行《ゆ》く積《つも》りかい」
「行《ゆ》くとも、九時迄に来いと云うから、八時から出て行《ゆ》く」
「学校はどうする」
「休むさ。学校なんか」と擲《たゝ》きつける様《よう》に云ったのは壮《さかん》なものだった。
「えらい勢《いきおい》だね。休んでもいゝのかい」
「いゝとも僕の学校は月給だから、差し引かれる気遣《きづかい》はない、大丈夫だ」と真直《まっすぐ》に白状して仕舞った。ずるい[#「ずるい」に傍点]事もずるい[#「ずるい」に傍点]が、単純なことも単純なものだ。
「君、行《ゆ》くのはいゝが路《みち》を知ってるかい」
「知るものか。車に乗って行《ゆ》けば訳はないだろう」とぷん/\して居《い》る。
「静岡《しずおか》の伯父に譲らざる東京|通《つう》なるに恐れ入る」
「いくらでも恐れ入るがいゝ」
「ハヽヽ日本堤《にほんづゝみ》分署と云うのはね、君只の所じゃないよ。吉原《よしわら》だよ」
「何《なん》だ?」
「吉原《よしわら》だよ」
「あの遊廓のある吉原《よしわら》か?」
「そうさ、吉原《よしわら》と云やあ、東京に一つしかないやね。どうだ、行って見る気かい」と迷亭君又からかいかける。
主人は吉原《よしわら》と聞いて、そいつは[#「そいつは」に傍点]と少々|逡巡《しゅんじゅん》の体《てい》であったが、忽《たちま》ち思い返して「吉原《よしわら》だろうが、遊廓だろうが、一|反《たん》行《ゆ》くと云った以上は屹度《きっと》行《ゆ》く」と入《い》らざる所に力味《りきん》で見せた。愚人は得てこんな所に意地を張るものだ。
迷亭君は「まあ面白かろう、見て来玉え」と云ったのみである。一波瀾を生じた刑事々件は是で一先《ひとま》ず落着《らくちゃく》を告げた。迷亭は夫《それ》から相変らず駄弁を弄《ろう》して日暮れ方《がた》、あまり遅くなると伯父に怒《おこ》られると云って帰って行った。
迷亭が帰ってから、そこ/\に晩飯を済まして、又書斎へ引き揚げた主人は再び拱手《きょうしゅ》して下《しも》の様《よう》に考え始めた。
「自分が感服して、大《おおい》に見習おうとした八木獨仙君も迷亭の話しによって見ると、別段見習うにも及ばない人間の様《よう》である。のみならず彼の唱道する所の説は何《なん》だか非常識で、迷亭の云う通り多少|瘋癲《ふうてん》的系統に属しても居《お》りそうだ。況《いわ》んや彼は歴乎《れっき》とした二人の気狂《きちがい》の子分を有して居《い》る。甚《はなは》だ危険である。滅多に近寄ると同系統内に引き摺《ず》り込まれそうである。自分が文章の上に於《おい》て驚嘆の余《よ》、是こそ大《だい》見識を有して居《い》る偉人に相違ないと思い込んだ天道公平|事《こと》実名《じつみょう》立町老梅は純然たる狂人であって、現に巣鴨《すがも》の病院に起居《ききょ》している。迷亭の記述が棒大《ぼうだい》のざれ言《ごと》にもせよ、彼が瘋癲院《ふうてんいん》中《ちゅう》に盛名《せいめい》を擅《ほしい》まゝにして天道の主宰を以《もっ》て自《みずか》ら任ずるは恐らく事実であろう。こう云う自分もことに因《よ》ると少々御座って居《い》るかも知れない。同気《どうき》相《あい》求め、同類|相《あい》集まると云うから、気狂《きちがい》の説に感服する以上は――少なくとも其《その》文章|言辞《げんじ》に同情を表する以上は――自分も亦|気狂《きちがい》に縁《えん》の近い者であるだろう。よし同型中に鋳化《ちゅうか》せられんでも軒《のき》を比《なら》べて狂人と隣り合せに居《きょ》を卜《ぼく》するとすれば、境《さかい》の壁を一重《ひとえ》打ち抜いていつの間《ま》にか同室内に膝を突き合せて談笑する事がないとも限らん。こいつは大変だ。成程考えて見ると此程中《このほどちゅう》から自分の脳の作用は我ながら驚く位|奇上《きじょう》に妙《みょう》を点じ変傍《へんぼう》に珍《ちん》を添えて居《い》る。脳漿《のうしょう》一|勺《せき》の化学的変化は兎に角意志の動いて行為となる所、発して言辞《げんじ》と化する辺《あたり》には不思議にも中庸《ちゅうよう》を失した点が多い。舌上《ぜつじょう》に龍泉《りゅうせん》なく、腋下《えきか》に清風《せいふう》を生ぜざるも、歯根《しこん》に狂臭あり、筋頭《きんとう》に瘋味《ふうみ》あるを奈何《いかん》せん。愈《いよ/\》大変だ。ことによるともう既に立派な患者になって居《い》るのではないかしらん。まだ幸《さいわい》に人を傷《きずつ》けたり、世間の邪魔になる事をし出かさんから矢張り町内を追払《おいはら》われずに、東京市民として存在して居《い》るのではなかろうか。こいつは消極の積極のと云う段じゃない。先《ま》ず脈搏からして検査しなくてはならん。然《しか》し脈には変りはない様《よう》だ。頭は熱いかしらん。是も別に逆上の気味でもない。然《しか》しどうも心配だ」
「こう自分と気狂《きちがい》ばかりを比較して類似《るいじ》の点ばかり勘定して居ては、どうしても気狂《きちがい》の領分を脱する事は出来そうにもない。是は方法がわるかった。気狂《きちがい》を標準にして自分を其方《そっち》へ引きつけて解釈するからこんな結論が出るのである。もし健康な人を本位にして其《その》傍《そば》へ自分を置いて考えて見たら或《あるい》は反対の結果が出るかも知れない。夫《それ》には先《ま》ず手近から始めなくてはいかん。第一に今日来たフロックコートの伯父さんはどうだ。心をどこに置こうぞ……あれも少々怪しい様《よう》だ。第二は寒月はどうだ。朝から晩迄弁当持参で珠《たま》ばかり磨《みが》いて居《い》る。これも棒組だ。第三にと……迷亭?あれはふざけ廻るのを天職の様《よう》に心得て居《い》る。全く陽性の気狂《きちがい》に相違ない。第四はと……金田の妻君。あの毒悪《どくあく》な根性は全く常識をはずれて居《い》る。純然たる気じるしに極《きま》ってる。第五は金田君の番だ。金田君には御目に懸《かゝ》った事はないが、先《ま》ずあの細君を恭《うや/\》しくおっ立てゝ、琴瑟《きんしつ》調和して居《い》る所を見ると非凡の人間と見立てゝ差支《さしつかえ》あるまい。非凡は気狂《きちがい》の異名《いみょう》であるから、先《ま》ず是も同類にして置いて構わない。夫《それ》からと、――まだあるある。落雲館の諸君子だ、年齢から云うとまだ芽生《めば》えだが、躁狂《そうきょう》の点に於《おい》ては一|世《せい》を空《むな》しゅうするに足る天晴《あっぱれ》な豪《ごう》のものである。こう数え立てゝ見ると大抵のものは同類の様《よう》である。案外心丈夫になって来た。ことによると社会はみんな気狂《きちがい》の寄り合《あい》かも知れない。気狂《きちがい》が集合して鎬《しのぎ》を削ってつかみ合い、いがみ合い、罵《のゝし》り合い、奪い合って、其《その》全体が団体として細胞の様《よう》に崩れたり、持ち上《あが》ったり、持ち上《あが》ったり、崩れたりして暮して行《ゆ》くのを社会と云うのではないか知らん。其中《そのなか》で多少理屈がわかって、分別《ふんべつ》のある奴は却《かえ》って邪魔になるから、瘋癲院《ふうてんいん》というものを作って、こゝへ押し込めて出られない様《よう》にするのではないかしらん。すると瘋癲院《ふうてんいん》に幽閉されて居《い》るものは普通の人で、院外にあばれて居《い》るものは却《かえ》って気狂《きちがい》である。気狂《きちがい》も孤立して居《い》る間はどこ迄も気狂《きちがい》にされて仕舞うが、団体となって勢力が出ると、健全の人間になって仕舞うのかも知れない。大きな気狂《きちがい》が金力や威力を濫用《らんよう》して多くの小《しょう》気狂《きちがい》を使役《しえき》して乱暴を働いて、人から立派な男だと云われて居《い》る例は少なくない。何が何《なん》だか分らなくなった」
以上は主人が当夜《とうや》煢々《けい/\》たる孤燈《ことう》の下《もと》で沈思《ちんし》熟慮した時の心的作用を有《あり》の儘《まゝ》に描き出したものである。彼の頭脳の不透明なる事はこゝにも著《いちじ》るしくあらわれて居《い》る。彼はカイゼルに似た八字|髯《ひげ》を蓄《たくわ》うるにも拘《かゝわ》らず狂人と常人《じょうじん》の差別さえなし得ぬ位の凡倉《ぼんくら》である。のみならず彼は折角《せっかく》此《この》問題を提供して自己の思索力に訴えながら、遂《つい》に何等《なんら》の結論に達せずしてやめて仕舞った。何事によらず彼れは徹底的に考える脳力のない男である。彼の結論の茫漠《ぼうばく》として、彼の鼻孔《びこう》から迸出《ほうしゅつ》する朝日の烟《けむり》の如く、捕捉《ほそく》しがたきは、彼の議論に於《おけ》る唯《ゆい》一の特色として記憶すべき事実である。
吾輩は猫である。猫の癖にどうして主人の心中《しんちゅう》をかく精密に記述し得《う》るかと疑うものがあるかも知れんが、此《この》位な事は猫にとって何《なん》でもない。吾輩は是で読心術を心得て居《い》る。いつ心得たなんて、そんな余計な事を聞かんでもいゝ。ともかくも心得て居《い》る。人間の膝の上へ乗って眠っているうちに、吾輩は吾輩の柔《やわら》かな毛衣《けごろも》をそっと人間の腹にこすり付ける。すると一|道《どう》の電気が起って彼の腹の中の行きさつが手にとる様《よう》に吾輩の心眼《しんがん》に映ずる。先達《せんだっ》て抔《など》は主人がやさしく吾輩の頭を撫で廻しながら、突然|此《この》猫の皮を剥《は》いでちゃん/\[#「ちゃん/\」に傍点]にしたら嘸《さぞ》あたゝかでよかろうと飛んでもない了見をむら/\と起したのを即座に気取《けど》って覚えずひやっとした事さえある。怖い事だ。当夜《とうや》主人の頭のなかに起った以上の思想もそんな訳合《わけあい》で幸《さいわい》にも諸君に御報道する事が出来る様《よう》に相《あい》成ったのは吾輩の大《おおい》に栄誉とする所である。但《たゞ》し主人は「何が何《なん》だか分らなくなった」迄考えて其《その》あとはぐう/\寐《ね》て仕舞ったのである、あすになれば何をどこ迄考えたか丸で忘れてしまうに違《ちがい》ない。向後《こうご》もし主人が気狂《きちがい》に就《つい》て考える事があるとすれば、もう一|返《ぺん》出直して頭から考え始めなければならぬ。そうすると果してこんな径路を取って、こんな風《ふう》に「何が何《なん》だか分らなくなる」かどうだか保証出来ない。然《しか》し何返《なんべん》考え直しても、何条の径路をとって進もうとも、遂《つい》に「何が何《なん》だか分らなくなる」丈《だけ》は慥《たし》かである。